Share

第33話  夜を歩く二人、あの日からの距離

Author: marimo
last update Last Updated: 2026-01-04 20:21:26

 バーで出会った「自称紳士」の二人は、驚くほど本当に“紳士”だった。

「今日は話せて嬉しかったです。もし覚えていてくださったら……連絡をください」

 そう言って、名刺をテーブルに置くと、

 二人は余計な引き止めも期待も見せず、軽く頭を下げて去っていった。

 夜の照明の中で揺れる名刺。

 そのさりげなさが、楓を少しだけ安心させた。

「……ほんとに二杯だけだったわね」

「でしょ? ああいうのが紳士って言うのよ。あたしは嫌いじゃないわ、ああいうタイプ。付き合うならああいうタイプね。遊ぶにはちょっと物足りないけど」

 真琴はまだエネルギーに満ちていて、口紅を塗り直しながらウキウキした表情を浮かべていた。

 一方の楓は、グラス一杯半でほろ酔いだった。

 頭の内側がほんのり温かく、心も少し軽くなっている。

(こんな感覚……久しぶりだ)

 二週間前まで、涙でぐしゃぐしゃになり、心の形が分からなくなるほど苦しかった。

 でも今は――ほんの少し、生き返っている。

 そんなときだった。

「楓、次どこ行く? まっすぐ帰るテンションじゃないでしょ?」

 真琴に言われ、楓はふと口をついて出てしまった。

「ねぇ……真琴、ホストクラブって行ったことある?」

 言ってから、楓は自分の言葉に、胸が小さく跳ねるのを感じた。

 亮に連れられて行ったあの夜の、微妙な気まずさと虚しさを思い出す。

 男女同伴での接待で、ホストたちは必要以上に話しかけてこなかった。

 ただ、店のきらびやかさだけが目に焼きついている。

(でも……今日の真琴のテンションなら楽しめるかも)

 真琴は一瞬まばたきをした後、満面の笑みで食いついた。

「マジ!? あたし行ったことないの! 楓は経験者?」

「……亮が、接待で行ったとかで、何回か……」

 その言葉を聞いた瞬間、真琴の目がギラッと輝いた。

「行こう! 行こう!! 絶対楽しいよ!」

「え、でも……」

「よし決まり! 行くわよ楓!」

 真琴は楓の腕を掴み、繁華街の通りへと歩き出す。

 赤と青のネオンが足元に反射し、二人のドレスが揺れるたびに光を受けて輝いた。

 通りの両脇にはキャッチの男たちがずらりと並び、通りすがりの男女をあの手この手で誘っている。

「お姉さんお姉さん! 今なら初回90分3000円ですよ!」

「綺麗ですね〜! 絶対後悔させませんから!」

「飲み放
Continue to read this book for free
Scan code to download App
Locked Chapter

Latest chapter

  • 静かな幸せは、裏切りの匂いがしたー医師・渡辺楓が選んだ、愛という名の代償ー   第38話 

     楓と冬真の距離は近く、  凛夜と真琴もわざとらしいほど親密にしている。 その雰囲気は、周囲の席にも自然と伝わっていた。 対照的に、亮と亜里沙の席には微妙な空気が流れ始めていた。 亜里沙が亮の腕に絡みつき、声を弾ませる。「ねぇ亮、今日の担当くん、どんな子かしら?」「さあな。まあ、適当でいいだろ」 亮は気だるげに返事をしながら、ちらりと店内を見回す――楓たちの方へ。 その瞬間、亮の顔が固まる。「……は?」 亜里沙も亮の視線を追い、自分も凍りついた。「え……って、え!? なんであの女がここに……?」 亮は思わず立ち上がりかけ、スタッフが慌てて止めに入る。「お、お客様、席でお願いします!」 亜里沙が亮の腕を掴む。「ちょっと亮、落ち着きなさい!」 しかし亮の視線は、冬真の腕に包まれて笑っている楓から離れなかった。「……誰だ、あいつ」 亜里沙が焦ったように笑う。「ただのホストでしょ? あの女が誰と飲んでたっていいじゃない」「……」「亮には、私がいるでしょ?」 亮は返事をしなかった。 その顔には、怒りとも嫉妬ともつかない影が浮かんでいた。 一方、楓は亮の視線を完全に無視し、冬真と静かに言葉を交わしていた。「冬真くん、演技……上手いのね」「ほんとに思ってるからだよ」「からかわないで」「からかってない。本気で言ってる」 冬真の瞳は、作り物の軽さよりも、どこか真剣な色を帯びていた。 心のどこかで少しだけ救われる。 そのとき、真琴がわざとらしく大声で凛夜に言った。「楓、前より綺麗じゃない? 失恋で磨かれた? やだ〜!」「うるさい……!」 楓は苦笑しながら言い返したが、  その声さえも、亮の方に届くよう真琴が計算して言っていた。「ね、楓。こういうのは“見せつける”のが一番効くのよ」 その言葉に、冬真が楓の顎を軽く指で持ち上げた。「楓さん。本当に綺麗だよ。誰が見てなくても」「……っ」 その仕草は自然で、  そしてどこか亮の心に火をつけるような一打になっていた。

  • 静かな幸せは、裏切りの匂いがしたー医師・渡辺楓が選んだ、愛という名の代償ー   第37話 最悪な再会

     凛夜と真琴の笑い声、冬真の落ち着いた声、グラスの触れ合う音。  楓のいるテーブルは、店の喧騒の中でもほどよく落ち着いた空気に包まれていた。 冬真が楓のグラスに軽くシャンパンを足しながら、柔らかく言う。「緊張、ほぐれた?」「ええ……だいぶ。ありがとう」 楓が微笑み返そうとした、その瞬間だった。「――新規二名、ご案内しまーす!」 スタッフの声が店内に響き、  店の入り口方向から二つの影がこちらへ歩いてくる。 楓は何気なく視線をそちらへ向けた。 そして――呼吸が止まった。(嘘……でしょ……) 明るいライトの下、案内されてくる男女。 男は黒のジャケットを羽織り、  女は白のミニワンピで男の腕にしなだれかかっている。 その二人が、向かいのソファ席へ座る。 ――亮と亜里沙。「……っ」 楓は指先まで一気に血の気が引くのを感じた。  隣に座っていた真琴も気づき、息を呑んだ。 凛夜と冬真も、楓たちの視線を追い、向かいの席に視線を止めた。「……あれ、もしかして」 冬真が低く呟く。 亮と亜里沙は、楓たちの存在にまだ気づいていない。  だが、離れていてもすぐ前の席だ。時間の問題だった。 場の空気が一瞬だけ張りつめ、楓はうつむきかけた。 そのとき、冬真が楓の耳に口を寄せて言う。「――楓さん、アイツ……女が変わったんですね」「え……っ?」 耳元への囁きは優しいのに、その内容は鋭くて、楓は思わず冬真を見上げた。 冬真は楓のグラスにシャンパンを注ぎ足しながら、  片目を閉じてウィンクする。「僕、前から楓さんのこと、いいなって思ってたんですよ」「……!」 思わぬ言葉に目を丸くする楓。  しかし、横から真琴がすぐに腕をつかんだ。「楓、ここで動揺したらダメよ」 真琴は声を低めて続ける。「“あんたなんてもういらない”って態度、貫くの。……ね? 楓先生」 ――楓先生。 その言葉で、楓の背筋は自然と伸びた。  医者としての顔、毅然とした姿勢。  それが心の支えになる。「……わかった」 楓は深く息を吸い、  亮の姿が視界に入らない角度へそっと顔の向きを変えた。 冬真の方を向き、穏やかに微笑む。「冬真くん、さっきの……どういう意味?」 冬真もその空気を読み、身を寄せるように楓へ向き直った。「言った通りだよ。前回来

  • 静かな幸せは、裏切りの匂いがしたー医師・渡辺楓が選んだ、愛という名の代償ー   第36話 煌めく夜

     冬真が楓のグラスに少しだけお酒を注ぎながら、  優しく言った。「お酒、強くなさそうだからね。控えめにしておく」「ありがとうございます……なんか、すみません」「謝ることじゃないよ。今日は楽しく飲むために来たんでしょ?」 その声は、落ち着いていて、どこか温かかった。(……亮と同じ年くらいかな) そんなことを考えて、  すぐに自分の思考を否定する。(今夜は亮のこと、考えない。もう終わったんだから) 凛夜と真琴のトークはさらに盛り上がっていた。「えー、真琴さんって広告代理店なの? 絶対モテるでしょ」「うん、モテる。けど、付き合うとダメ男製造機って呼ばれる」「それ自分で言っちゃう?」 真琴のぶっちゃけに、凛夜は声を上げて笑い、  その笑い声につられて周囲の女性客もちらりとこちらを見る。 楓は冬真に聞かれた。「楓さんは……何のお仕事?」 一瞬迷ったが、ゆっくり答えた。「医者です。今は内科なんだけど……もともとは外科にいの」「へぇ……すごいね」 その瞳に、軽い好奇心と尊敬が光る。  作り物の褒め言葉じゃない、自然な反応。「外科医って、命預かるでしょ? 精神的にも大変そう」「……うん。でも、また外科医に戻ろうと思ってて」「戻るの?」「ブランクがあるんだけど……ね」 冬真はわずかに微笑み、グラスを楓に軽く近づけた。「じゃあ、その決意に――乾杯」「……乾杯」 静かに触れ合うグラスの音が、胸の奥を震わせた。 店内では相変わらず女性たちの笑い声が響いている。  だけど、楓と真琴の席だけは、不思議な“落ち着き”があった。「ねぇ真琴さん、恋してるときの方が綺麗だけど……  恋を終わらせた後の女の人も、なんかすごく色っぽいんだよね」 凛夜が真琴の耳元で囁くと、真琴の肩がビクリと動き、「……ちょっと、いやその……」 照れた真琴が楓の方を見る。「楓、こいつ好きかも」「早いわよ」 二人で笑い合うと、冬真がそれを眺めながら微笑んだ。「いい友達だね。今日来たの……正解ですよ、楓さん」 楓はその言葉に、静かに笑った。「うん…真琴に癒されてるわ」 本心だった。 夜が深まるにつれ、  楓の胸の奥で凍っていた何かが、少しずつ溶けていく。 亮の裏切りに刻まれた傷は消えていない。  でも、その傷を抱えたままでも歩ける。

  • 静かな幸せは、裏切りの匂いがしたー医師・渡辺楓が選んだ、愛という名の代償ー   第35話 煌めく夜の入り口

     扉が開いた瞬間、空気そのものが変わった。 ホストクラブの店内は、想像以上に華やかで眩しかった。  壁もテーブルもライトも、すべてが非日常の光をまとっている。  音楽は軽快で、グラスの触れ合う音があちこちで響いていた。 そして何より――女性客の熱気。 ソファ席はほぼ満席で、華やかな女性たちが笑い声を上げながら  ホストたちに身を寄せている。  若い男の子が、何十人も行ったり来たりし、名刺を渡しては別の席に走っていく。「すご……こんなにいるの?」 真琴が目を丸くする。「こんなに賑やかだったっけ……?」 楓も圧倒されていたが、同時に胸が少しだけ弾んでいた。  この雰囲気は、亮と行った時とはまるで違う。  あの時は“同伴客としての楓”だった。  今夜は――“ただの女”としてここにいる。 二人は顔を見合わせ、  無言で「大人の女モードね」と確認しあい、  堂々とした表情でスタッフに案内された席に腰を下ろした。 ソファに座って間もなく、  二人の若いホストが慌てて駆け寄ってきた。「い、いらっしゃいませ! お客様、初めてのご来店ですか?」 ぎこちない笑顔の青年が、震え気味の手でグラスを準備していく。  もう一人はおしぼりを丁寧に差し出し、すっと膝をついた。「僕、優斗(ゆうと)と申します。よろしくお願いいたします」 名刺が差し出されると、真琴が「おお……」と小声で感心している。 酒を注ぎ終えた青年も、やや緊張しながら名刺を差し出した。「僕は……隼(じゅん)です。お見知りおきを」 若々しい照れの残る笑顔に、真琴が思わず吹き出す。「かわいいじゃん」「しっ、真琴……!」 楓が小声でツッコむが、遥斗と隼は嬉しそうに頬を赤らめた。 軽い自己紹介の後、店のシステムや料金説明が始まった。  二人は覚えた通りを一生懸命話していたが――。「ではそろそろ僕たちの持ち時間終了なので、失礼します!」 遥斗がグラスを持って立ち上がり、隼も同じように下がっていった。「お姉さんたち、また来てくださいね〜!」 手を振りながら去っていく姿に、楓と真琴は顔を見合わせて笑った。「なんか……かわいいね」「うん、初々しい」 しかしそのあと、入れ替わり立ち代わり、また別の若いホストが来る、来る、来る。「楓、名刺……もう何枚目?」「えっと…

  • 静かな幸せは、裏切りの匂いがしたー医師・渡辺楓が選んだ、愛という名の代償ー   第34話

     真琴がふと楓の腕を握り直し、少し真顔になった。「ねぇ楓。こういうとこで変な男に捕まるのはマジで危ないから。  どうせなら店の男の子たちにチヤホヤされる方が、全然安全。  お金で守られてる方が、逆に気楽よ」「……それはちょっとわかる」 亮と来たあの店は、政治家の会食にも使われる上品な店だった。  若いホストたちは、亮の同伴というだけで距離を置き、  楓に近づくことはほとんどなかった。 だから、楓にとって“ホストの世界”は未知数だ。 でも――  今日は、自分を取り戻す夜。(亮を思い出す場所じゃなくて……自分のための場所がいい) 楓は心の中でそう呟き、深呼吸した。「真琴、亮と行った店……あるんだけど、そこは行きたくない」「あー、それはやめとこ。偶然なんてあるもんね」「うん……だから、たった二回だけ行った別の店があるの。  亮とは会わないはず。客層も違うから」「じゃあそこにしよ! 楓の“新しい夜デビュー”のお店ね!」「新しい夜デビュー……?」「いいじゃん響き! ほら、行くよ!」 二人は繁華街を抜け、少し落ち着いた裏通りへ入っていく。  照明が少し暗くなり、代わりに店のネオンが一つ一つ際立って見える。 前方に見慣れた看板が見えた。 ――CLUB Argo。 ギリシャ神話にちなんだ名前を冠した、シックで大人向けのホストクラブ。  楓が亮と来た店とは別の系列店で、より落ち着いた雰囲気の店だ。「ここ。入る?」「入る!!」 真琴の声が弾む。  その明るさに引きずられて、楓の緊張が少しずつほぐれていく。(……もう、亮の面影に怯えない) そう思えた自分に、楓は気づかないうちに微笑んでいた。 黒のスリップドレスに赤いハイヒール。  真琴は青いドレスにゴールドのヒール。 二人は夜風をまとって歩き、  ゆっくりと扉へと近づいていく。 店の前に立つスタッフが、二人を見てわずかに目を見張った。「いらっしゃいませ……お客様方、今夜は特別な夜になりそうですね」 その言葉に、真琴がくすっと笑う。「特別な夜っていうの、約束できる?」 スタッフはプロらしい笑顔で答えた。「もちろんです。おふたりのご希望に叶うよう、最高の夜をご用意します」 楓はドアノブに指を添えた。  胸の奥で、かすかな鼓動が高鳴る。(これは……亮を忘

  • 静かな幸せは、裏切りの匂いがしたー医師・渡辺楓が選んだ、愛という名の代償ー   第33話  夜を歩く二人、あの日からの距離

     バーで出会った「自称紳士」の二人は、驚くほど本当に“紳士”だった。「今日は話せて嬉しかったです。もし覚えていてくださったら……連絡をください」 そう言って、名刺をテーブルに置くと、  二人は余計な引き止めも期待も見せず、軽く頭を下げて去っていった。 夜の照明の中で揺れる名刺。  そのさりげなさが、楓を少しだけ安心させた。「……ほんとに二杯だけだったわね」「でしょ? ああいうのが紳士って言うのよ。あたしは嫌いじゃないわ、ああいうタイプ。付き合うならああいうタイプね。遊ぶにはちょっと物足りないけど」 真琴はまだエネルギーに満ちていて、口紅を塗り直しながらウキウキした表情を浮かべていた。 一方の楓は、グラス一杯半でほろ酔いだった。  頭の内側がほんのり温かく、心も少し軽くなっている。(こんな感覚……久しぶりだ) 二週間前まで、涙でぐしゃぐしゃになり、心の形が分からなくなるほど苦しかった。  でも今は――ほんの少し、生き返っている。 そんなときだった。「楓、次どこ行く? まっすぐ帰るテンションじゃないでしょ?」 真琴に言われ、楓はふと口をついて出てしまった。「ねぇ……真琴、ホストクラブって行ったことある?」 言ってから、楓は自分の言葉に、胸が小さく跳ねるのを感じた。  亮に連れられて行ったあの夜の、微妙な気まずさと虚しさを思い出す。  男女同伴での接待で、ホストたちは必要以上に話しかけてこなかった。  ただ、店のきらびやかさだけが目に焼きついている。(でも……今日の真琴のテンションなら楽しめるかも) 真琴は一瞬まばたきをした後、満面の笑みで食いついた。「マジ!? あたし行ったことないの! 楓は経験者?」「……亮が、接待で行ったとかで、何回か……」 その言葉を聞いた瞬間、真琴の目がギラッと輝いた。「行こう! 行こう!! 絶対楽しいよ!」「え、でも……」「よし決まり! 行くわよ楓!」 真琴は楓の腕を掴み、繁華街の通りへと歩き出す。  赤と青のネオンが足元に反射し、二人のドレスが揺れるたびに光を受けて輝いた。 通りの両脇にはキャッチの男たちがずらりと並び、通りすがりの男女をあの手この手で誘っている。「お姉さんお姉さん! 今なら初回90分3000円ですよ!」「綺麗ですね〜! 絶対後悔させませんから!」「飲み放

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status